机上に踊る胆と熱

中小企業診断士試験についての(役に立つ)所感

他人ではなく「自分のキモチ」を踏みにじろう。

 

 ヤル気不要論を説きますよ、今からね。ヤル気なんてものはこの試験では、不要です。いやね、よくいるでしょう、モチヴェーションですが「なかなかつづかないんデス」系の方。(オレを含む)そんな方々に敢えて伝えたいのは、ヤル気等の自分のキモチですけど「そんなに必要なものなんですか」と。―― そんなに重視しなきゃいけないものですかね。自分のキモチとやらですがこの辺を今回は、整理してみたい。

 ところで企業経営者は、月末の支手決済をどう対処するのかご存知ですか。

 月末に2,000万円の手形決済を迎えるとしましょうか。けど、口座には現在、100万円しかありません。そんな状況です。そして云う間でもなく残り1,900万を用意しなきゃ倒産、しちゃうわけなんですがさて、この際に採られる経営者の態度は、かなり参考になります。彼等経営者ですけどいったい、どうするのかと云いますとその答えは、「ただヤル」です。

 

 もう、それだけ。それしかない。

 

 ただヤルんです。手形期日を、守るんです。

 

 「ヤル気が湧かないんです!だから、ヤル気を出す方法をクダサイ!」「なんちゃら理論のモチベアップ技術を参考に!ヤル気をアップさせて!」なんてこと言っているその間にも、ほら、2,000万円の手形決済期日は迫ってくるのです。ですからね、もう、そんな状態でやるべき事は、ヤル気スイッチの場所を探すことじゃナイんです。不足分の現ナマ集めになるんです、取り掛かることってのは。だって、そうでしょ?

 そして、それこそが唯一有効です。探すのはヤル気ではなく現ナマ、ここが重要なんですけど経営者は問題対処の最中ですが、「そこにヤル気なんてナイ」んです。誰が熱意を持てますかって、そんな、「おカネ貸してよ~」なんて頭さげる仕事に。

 一次・二次試験の本番は、受験生にとっての支払手形の決済日に当たります。この日、答案用紙と云う名の〝口座〟に、決済条件を満たす知識を入金しておく必要があるんです。ヤル気の有無ではなく必要なのは、6割ゲット可能な知識量なんです。いやね、そんなルールになってんのに、どーしてそんな「ヤル気湧かね~」な自意識に、生真面目に付き合う必要があるんでしょうかね。そしてその、自分のキモチってヤツに対し、ですよ、うやうやしく頭を下げて、ご機嫌を伺いながらどーしてお願いをせにゃならんと、云うのでしょうか。「お願いです、ヤル気を出してください」と・・・・・よくよく考えてみると、かなりバカバカしい行為です。

 ヤル気湧かせてくれたら勉強をしてやる、そういうキモチに向かって縷々切々と「勉強をしなきゃイケナイ理由」とやらを説明、我々は必死でやりますけどもそもそも、そこまで相手にせにゃならんヤツではないはずなんです。「ふむ!よく解った!それでは勉強をしてあげる」とするそのキモチって、ホンモノの自分なんでしょうかね。釈尊が虚仮(こけ)と表したニセモノの自分、コイツを「ふむ!」と納得させなきゃ支手決済やお勉強、条件を満たせないとでも言うのかい?・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・ところでこの種のヤル気不要論を説きますとね、必ず「ツラくなりませんか?」と聞かれます。答えは「そりゃツライよ」ですけど、でもね、「ツラくなりませんか?」と聞いてくる自分のキモチには、「ツラかったらなにか不都合でもあるのか?」と問い返しますね。「お前はこの世に、お客さんとして来てんのか?」とも、問い返したくなります。「そのお客さん意識はいったい、何なんだ」とも・・・・・・・・・・いやね、つまり、お客さん意識なんですよ、その、「ツライ事が起こる=悪」みたいな思想はね。新興宗教よりも性質が悪いですよ、大げさではナクね。

 当事者意識とは何でしょう。経営者なら期日までに、必要な現金を口座に入金することなんです。そして受験生ならば試験の日までに、必要な知識を身に付けておくことなんです。だから、先ず以ってお客さんであることを降りるのですよ、自分の人生に於いて。さっきも言いましたがそんなにも、大切なモンでしょうね、「自分のキモチ」とやらですが・・・・・・・・

 まとめに入りますけども、お客さん意識を持ったままだからツライんですよ。オレ様は世の中から、良くされてアタリマエなのだ、な、お客さん意識を持ったままだから、ツライんです。6割ゲットよりも「自分のキモチ」なんてモンに優先順位、高く付けちゃうからツライんです。心がさめざめと波を打つあの、不安状態を脱するのっていったい、そこまで大切なモノなんでしょうか。勉強とか支手決済がなきゃ自分のキモチはまあ、動揺することはないですけども、それでも、動揺してるキモチ状態がいったい、何だと言うのだ。動揺するなら、動揺したままで良いではないか。まして「心が折れる」っていったい何だ。折れたなら、折れたままヤレばいいじゃねーか・・・・・そうは思いませんか。

 疲れたらダメ、興味が湧かなきゃダメ、面倒はダメ、キモチが乗らなきゃダメ、そんなものを我々は「自分のキモチ」と表してます。そしてそんな、ニセモノを説得しようと連日、格闘するワケですがそもそも、相手にしなくてもイイんです。そしてそんな、サボりたくなるキモチとは間違っても、勝負してはいけません。「無視するに限る」ってなお話なんです、これ。他人の気持ちは平気で踏みにじるクセに、我々はこの「自分のキモチ」とやらをどうして、そこまで重要視するんだろうか。そしてどうして、踏みにじれないんだろうか。踏みにじるべきは他人ではなく、自分のキモチでしょうに。